【PR:富山・高岡を知ってみよう】私が高岡で出会った人たち、自然、伝統、暮らし ー前篇ー


2015年に北陸新幹線が開業し、東京からも二時間半弱でアクセス出来るようになった、富山県高岡市。

富山県の北西部にある高岡市は、慶長14年(1609年)に加賀前田家2代当主前田利長公が高岡城を築城し、城下町として発展した。
その際、鋳物師の職人を全国から呼び集めたことで商工業の町となる。

また、穀倉地帯を控え、米や物品を運ぶ為の良港を持ち合わせた上で、米や綿、肥料などの取引拠点となり、“加賀藩の台所”として隆盛を極める。


※2018年3月『33の富山旅』取材時に「能作」で撮影

そして400年経った現在でも、時代の流れに寄り添った伝統工芸が受け継がれていることから、高岡と言えば、それらの歴史遺産と日本遺産認定を受けた文化財を活かした地域作りも魅力の一つだろう。

さらに付け加えると、美しい自然を拝める雄大な国定公園や、今年で連載50周年を迎えた「ドラえもん」の存在も欠かせない。


本記事より2記事の連載形式で【私が高岡で出会った人たち、自然、伝統、暮らし】などにフォーカスしながら、高岡へ移住された方々の背景や働き方、地域ごとの魅力などを紹介。


ほんの数日だけの取材記録ではあるが、東京から公共交通機関だけを使い、自らスケジューリングをして巡った、高岡の今を感じ取って貰えると嬉しい。

先ずは、私が以前にも寄稿したことのある、《高岡ラムネ》を扱う老舗和菓子店から高岡を紐解いていこう。



夢と希望の結晶、老舗和菓子店「大野屋」の高岡ラムネ 


「大野屋」は180年以上続く老舗和菓子店。
本店は伝統的風景が残る高岡・山町筋で代々受け継がれ、今では高岡のみならず、富山空港、富山駅、日本橋とやま館などでも、この愛らしい《高岡ラムネ》を手に取ることが出来る。

今から約2年前、鋳物メーカーの「能作」へ足を運んだ際に自腹で購入した《高岡ラムネ》の可愛らしさと創造性に感動した私は、その後直ぐさま、ぐるなびのippinへ寄稿。


「歴史ある和菓子屋のはずなのに、ずいぶんと斬新かつ現代的で、いろんなアイディアが詰まっているラムネ!」
当時からそう感心しきりだった私は、この《高岡ラムネ》を考えた人にずっと会ってみたかった。

「大野屋」のインスタグラムからコンタクトを取ってみたところ、現当主で9代目を迎えた「大野屋」の長女である大野 悠さんが発案者の一人であったことが分かる。



彼女は今でこそ「大野屋」の企画担当として家業を継いでいるが、金沢美術工芸大学・大学院へ進学し染色や織物などを学んだ後、東京のアパレルメーカーでテキスタイル(生地、織物)のデザイナーを数年勤めた後、母校で講師をしていた。
そして結婚を機に、地元・高岡へ帰ってきたUターン移住者でもある。

《高岡ラムネ》は、金沢で講師をしている最中、週末は高岡へ帰省し家業を手伝いながら考案し、2012年12月より販売。
ラムネ製造は木型を使用し、一つずつ自社で手作り。パッケージデザインは学生時代の同級生によるものだとか。



若い世代に和菓子離れが進む中で、元々落雁用として使っていた木型を用いて作った《高岡ラムネ》。
「伝統を活かしつつも、手にとって貰いやすいようなお菓子を届けたい」という願いも込められている。

《高岡ラムネ》は、大野さんと同級生で知恵を絞り、双方のセンスを取り入れて共同開発をした、夢と希望の結晶だ。



落雁用にあった小さな貝殻木型のままで作られた、国産しょうが味(現在は国産柚味に変更)の「貝尽くし」が最初の原点。
「貝尽くし」は古来から人気の吉祥文様で、貝は古くから貨幣として使われたり、中国八吉祥のひとつにほら貝があることからも分かるように、宝物や縁起物の象徴でもある。

国産しょうが味の「宝尽くし」も吉祥文様のひとつであり、これら2種から《高岡ラムネ》をスタート。
今では季節限定のものを加えて11種類も存在するそう。

すぐれた地方産品を発掘し海外に伝える経済産業省のプロジェクト「The Wonder500」に選ばれたことにも納得出来る。


※こちらは昔からある落雁。《高岡ラムネ》と落雁、それぞれがステキ!

「高岡は小さい町ではあるが歴史と一緒に文化が根付いている。路面電車で富山湾の海にも気軽に行けたりする楽しさもある。若い人たちもこの高岡の町で元気に頑張っているところを伝えていきたい」

そう話してくれた大野さん。



若かりし頃は、代々続く伝統に重荷を感じながらも、そこから飛び出して都会や勤務先でさまざまなことを吸収。
それらの経験をしっかり“生かし”て、今を“生きて”いる大野さんは、私の元アパレル時代の同僚や新たな分野にチャレンジし続ける友達らと重なる部分があった。

初めてお目にかかったのにも関わらず、前から知っていたような不思議な感覚になれた素敵な出逢い。
きっとこれも、何かに導かれたご縁に違いない。



県外の若者パワーが高岡をさらに楽しくする、「あそびとビル」 
とある夜、“高岡で移住”というテーマをふと考えた。

「高岡の町に若者が移り住むことはあるのだろうか? もしIターン移住をしている若者がいれば会ってみたい」
そう思い立ち、Twitterで「高岡 移住」と軽く検索したら、真っ先に飛び込んできたのが彼女たちだった。


このたった140文字の呟きで、私は二人の活動をとても知りたくなった。
そして再び高岡を訪れる前に、彼女たちへFacebookからアポイントを取る。

すると直ぐさま返信が来て、「あそびとビル」の阿部真弓さん、平岡のっぽさんと高岡で会うことになった。
(私の行動もアグレッシブかもしれないが、彼女たちの即レスも相当早かった!)



阿部真弓さん(写真:右)は、千葉県船橋市出身。
富山大学芸術文化学部への進学がきっかけで高岡へ移住した、「あそびとビル」の発足人。

平岡のっぽさん(写真:左)は、東京都出身。
高岡歴は4年目で、デザイン事務所に勤めた経験もあり、阿部さんよりもほんの少しだけお姉さん。


県外出身の若い彼女たちが、なぜこの高岡を盛り上げるようと思ったのか?

この話を深く知るには、「あそびとビル」実行計画への資金集め(クラウドファンディング)の為のウェブサイトページに本当に詳しく描かれているから、先ずはこちらの記事を読んで貰うのが一番だ。


「あそびとビル」とは、高岡駅前商店街の一角に位置する地下1階、地上4階建て空きビルを、自分たちのアイディアを組み込みながら、カフェ&バー、レンタルスペース、シェアオフィス、イベントスペース、ギャラリーショップとして運営する(予定の)“夢の詰まった一棟ビル”のこと。

実は、2020年3月13日に「あそびとビル」を改修するための資金集め目標額をクラファン達成したばかり。
そして、彼女たちと私が初めて改装前の現場で会って話したのが、その直ぐのこと。

だからこそ、あえて改修前のビル空間を、私は撮影していない。
(これは私の拘りで、先ほど紹介したREADYFORページに改装前の写真や未来想像図もしっかり紹介されているからだ)

関東で別々の場所に住んでいた年齢の違う二人が、進学や就職で高岡に移住することとなり、クリエイティブな仲間たちの集う飲み会がきっかけで知り合い、そして自分たちの得意を活かして「高岡を盛り上げたい!」という気持ちで活動している。

そう知っただけでも、東京住まい+さらに少しお姉さんの私でさえワクワクしたし、今後の活動が楽しみで仕方ない。


県外出身の彼女たちに高岡に住んでみて気がついたことを聞いてみたところ、このような答えを貰った。

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阿部真弓さん
「高岡に暮らし、街の中に入り込んでいくことで、高岡の本当の面白さや魅力に気づけた。高岡の町は、小さすぎずでもなく、かといって大きすぎずでもない。程よく田舎なのに生活する上で不便だと感じることもあまり無い」
「自営業の人が多いから商売っ気は強め? だが、何だかんだ面倒見が良いお人好しばかり。私にとって(周りの大人たちが)、高岡のお父さん、お母さん、おじちゃん、おばちゃんみたい」


平岡のっぽさん
「高岡は、大都会に比べてコミュニティーが小さい。だがその代わり、(都会に住んでいた時には、そんなことも無かったのに)どこに行っても直ぐに知り合いにも会える。そして、人との繋がりが密でもあるからこそ、伝達などもあっという間に伝わってしまう(笑)」

彼女たちの話を聞いて「なるほど! うんうん」と強く頷いた私も、もしかしたら? 既に心は高岡へと向き始めているのかも知れない。(きっと《どこでもドア》が無くても大丈夫!)

「街中に住んでたら車が無くても平気。お店も色々あるから、飲みに出ても歩いて帰れますよ」
最後に阿部さんから教えて貰ったそのひと言が、日本酒好きの私の魂をも熱くする。



高岡のヒーロー!連載開始50周年を迎えるドラえもんに会いに行こう 


「ドラえもん」の作者である漫画家、藤子・F・不二雄さんは、富山県高岡市出身。

藤子さんの故郷である高岡市と射水市を結ぶ万葉線「ドラえもんトラム」は、「ドラえもん」の生誕100年前を記念して、2012年9月に運行をスタート。

今や町を彩る路面電車の一つとして、ひときわ光る存在感さえ放っている。



ドラえもんカラーの外観のみならず、車内も「ドラえもん」一色!

キャラクターたちやひみつ道具も描かれている。



万葉線の全てが「ドラえもんトラム」という訳では無いので、どうしても乗車してみたければ、時刻表を調べておくと良い。




高岡で「ドラえもん」に会えるスポットは他にいくつもあって、高岡駅北口を出て直ぐの「ウイング・ウイング高岡」前にある《ドラえもんの散歩道》では、ブロンズ像のキャラクターたちが出迎えてくれる。



※一番左のじゆうちょうは、「ドラえもん」生誕50周年を記念した豪華な金箔押し!

皆さまもご存じであろう「ジャポニカ学習帳」。
実は販売元であるショウワノート株式会社(元・昭和紙工株式会社)は、1947年に高岡市で創業。


地元ならではのノートの一つとして、《ドラえもんトラム自由帳》といった変わり種まで販売されている。



B5サイズの《ドラえもんトラム自由帳》の裏表紙には、高岡市や「ドラえもん」についての紹介もある。




話を膨らませると、ショウワノート株式会社高岡本社工場の直ぐ近くには、新高岡駅から徒歩15分の距離にある総合公園「高岡おとぎの森公園」があり、その敷地内には「ドラえもん」のキャラクターたちが勢揃いをした《ドラえもんの空き地》が存在。



「高岡おとぎの森公園」には屋外のみならず、館内施設の「おとぎの森館」もあり、子供がいる家庭の市民たちからも広く親しまれている。




再び《ドラえもんトラム自由帳》の話題に戻るが、
裏表紙をめくれば、高岡市や「ドラえもん」について詳しく知ることが出来る、実に面白い自由帳なのだ!




藤子・F・不二雄さんの軌跡をたどれる「高岡市 藤子・F・不二雄 ふるさとギャラリー」、彼の出身校である「高岡工業高校」へは、例え《タケコプター》や《どこでもドア》が無くとも、誰でも万葉線で行くことが出来る。



高岡取材中の私も、便利な万葉線には幾度かお世話になった。

目的地へ向かう為、あらかじめ「ドラえもんトラム」の時刻表をしっかり調べていた私とは対照的に、偶然タイミング良く「ドラえもんトラム」に乗車出来ると分かった地元の少年は、乗車前に何度も小さくガッツポーズをしていたのが心に残っている。

この高岡の町でも、「ドラえもん」はいつだってみんなのヒーローであり続けているのだ。



富山県内初のスリランカ料理専門店「ランカキャーマ・クルバドゥ」 


万葉線・旭ヶ丘駅の直ぐそばにあるのが、スリランカ料理専門店「ランカキャーマ・クルバドゥ」。
実は富山県内初出店のスリランカ料理のお店と言うことでも話題。

世界中のグルメ料理を食べ歩き、さまざまな食ジャンルを取材している私としても
「ここだけは外しておけないぞ......!」
そう意気揚々とスケジュールに組み込みました。


※ランチメニューでは《Rice & Curry》が私のベストレコメンド!


シェフの川口勝己さんは高岡市出身。
とはいえ、川口さんはずっと高岡市で働いていた訳では無く、名古屋市のスリランカ料理店と現地スリランカでも修行。

そのまま都会で独立開店するのではなく、こうやって愛する地元へとUターンし、新たなお店を開いてくれる心意義も素晴らしい。




私がオーダーしたランチメニューの《Rice & Curry》は、メインのカレーを中心に副菜数種で彩られている魅惑満載なひと皿。

この日は鶏肉と鰯を選べたようだが、あいにくチキンカレーは売り切れ。
「カレーに鰯...イワシ!?」
と思いつつも、食べてみてびっくり、想像していたよりもスパイシーなカレー味にすごく合う。



時間に追われ、慌ただしそうに食事をする私に気遣ってくれた川口さんは、わざわざ料理の一品ずつをメモして手渡してくれた。

当初は文字に起こすつもりが、「このままの方が分かりやすいのでは?」と思い、そのまま紹介してスミマセン。


「先ずはカレーや副菜のそれぞれを味わいつつ、半分くらい食べた頃に混ぜ合わせて食べるがおすすめ」
そう教えて貰ったとおりに食してみたが、これなら無限大の味わいを楽しめる!

ちなみに、店名の「ランカキャーマ」はシンハラ語でスリランカ料理、「クルバドゥ」はスパイスを表すのだとか。


※シェフ自らが設営を施した「ランカキャーマ・クルバドゥ」の店内も必見!

ただ辛いだけでなく、香辛料の旨みや辛みの奥深さ、そしてココナッツ風味の副菜や甘みのあるサラダも添えられているので、食べていて一向に飽きない。

食べ終えたばかりでお腹いっぱいなのに
「また食べに来たい!」と病みつきにもなる摩訶不思議な美味しさ。

あぁ、私にもドラえもんの秘密道具《バイバイン》があれば良いのに......。



道の駅「雨晴」より大自然を愛でる、雨晴海岸越しの立山連峰 


国定公園「雨晴海岸(あめはらしかいがん)」は、万葉集で「渋谿(しぶたに)」と詠まれた高岡の景勝地。

冬は曇天の多い富山だが、晴れ女の私らしく、富山湾越しに広がる立山連峰をきっちり拝んできた。


※日本の渚百選の一つにも選ばれている「雨晴海岸」

JR氷見線と海越しの立山連峰を望む絶景は、撮り鉄のあいだでも有名な撮影スポット。

標高3,000メートル級の山々を海上から望むことが出来るのは、世界でも3ヶ所と言われているそうで、「雨晴海岸」からの眺めもその一つである。

だからこそ、高岡で大自然を感じたい方のみならず、高岡を訪れたら「雨晴海岸」は欠かせないと言っても過言ではない。



何より便利なのが、JR氷見線雨晴駅から徒歩5分にある道の駅「雨晴」より、フォトジェニックな一枚を誰でも簡単に撮影出来ること。




道の駅「雨晴」へは、電車のみを利用する観光客でも気軽に足を運べるからこそ、この眺めは写真だけでなく、必ず自身の目で確かめて欲しい。


※氷見線「忍者ハットリくん列車」越しに見える女岩

氷見線「忍者ハットリくん列車」は、作者である藤子不二雄Aさんが高岡市の隣の氷見市出身ということで、デザインされたラッピング列車。

あいの風とやま鉄道線から分岐するローカル線のひとつである氷見線は、富山湾岸を走り、高岡駅へも繋いでいる。



道の駅「雨晴」に小一時間もいれば、右から左へ、左から右へと移動する単線の氷見線を撮影するのは容易だろう。

私は、JR氷見線雨晴駅の時刻表をあらかじめネット検索をして調べていて、この地でのベストタイミング撮影に臨んでいる。

例え時刻表を調べて無くとも、道の駅「雨晴」の直ぐそばにある踏切の音が、列車の登場を知らせてくれるから安心だ。


もし望遠レンズカメラを持っていたならば、迫力ある一枚を撮影出来る。あとはお天気の神様に祈るだけ!



「雨晴海岸」沿いには、義経伝説に由来する「義経岩」もあり、時間にゆとりさえあれば、ここらでのんびり過ごすのもおすすめだ。



万葉集にも詠まれた古社、高岡古城公園の「射水神社」 


高岡で自然に触れられる名所の一つである「高岡古城公園(国指定史跡:高岡城跡)」。
四季それぞれで楽しめる魅力や美しさはあれど、約1800本の桜が植えられた〈さくら名所100選〉にも選ばれただけあって、遊覧船から眺めるお濠の桜も見どころ。

私が訪問した時は、ソメイヨシノはまだ見頃を迎えていなかったが、「高岡古城公園」の中にある「射水神社」では外拝殿前のしだれ桜が見事に咲き誇っていた。



「射水神社」の御朱印は、月ごとに“季節のあしらい”が替わるのが面白い。

例えば梅の花も見頃となる3月では、お花見を先取りした「さくら」が愛らしく咲いていた。



桜の絵馬も見事なもので、寄せて集まれば大樹のさくらのよう!
まさに“サクラサク”といった風情さえ感じ取れる。



絵馬には「合格」付きとそうでないものがあるので、あらゆる願い事を咲かせてくれるに違いない。




一日歩き疲れていた私は、参集殿にあるカフェエリア「いみづ茶寮」で一服。



お抹茶には、ご神紋そのままの落雁も添えられていて心が躍る。

口の中でほろほろほどけていく落雁を食べた後、滋味に富む抹茶をいただく。
喧噪な日常では忘れがちな、ゆっくりと流れる穏やかな時間も愛しい。




創建は奈良時代以前という歴史があり、あの万葉集にも詠まれるほどの古社である「射水神社」。
「高岡古城公園」の散策と共に訪れてみるべきだ。



Iターン移住者の若者が高岡の農産物を支えている 
高岡市国吉で60ヘクタールの大規模農業を手掛けている、中川雅貴さん。
出身地である群馬県高崎市で高校まで生活し、大学は東京にある明治大学農学部を卒業。

「大規模でダイナミックな農業がしたかった」

かねてより、そう思い描いていた中川さんは、学生時代にたまたま高岡の営農組合のことを知り、Iターン移住を決意した。


※「外部の人間が一から農業をやることは難しいが、受け入れがあったからこそやり易かった」と話す、中川さん

中川さん
「高岡のいいところは田舎過ぎないところ。新幹線(新高岡駅)も通っていて都会の便利さもある。のどかさだけで無く、住みやすさもある。なにより、周りに住む地域の方々が私によくして下さってることがありがたい」

富山県でも、年老いて農業が難しくなったり、後継者がいない農家も増えていてのが現状。
中川さんのような熱意ある若手の力は、地域の人たちにとっても頼もしい存在だ。


「集落営農を通して、芝刈り機やコンバインといった農業機械を共同で所有するなどして、地域ごとで協力し合いながら農業を続ける仕組み作りは必要不可欠」

そう語る中川さんの目は光輝いていた。



※今では地域の行事においても先頭を切っての大きな役割を任せて貰っているそうだ

農薬散布などでドローンを用いたり、ICT機械やAI技術の導入を進めている若手農業家の一人である中川さんは、米40町、麦20町、ビニールハウスでネギなどの葉物野菜を育てている。

今では、大規模農業の作付から近隣の農作業務をまとめるための大がかりなオペレーターまでも手掛け、地域でのあらゆる全てにも携わっているという。

「人口が減っていることで空き家が増えている。そこで何か改善できないかが課題の一つ。さらには、高岡と都会の二拠点での働き方なども考えていきたい」

中川さんの夢や未来、希望は、自ら高岡に一生定住する上での今後をしっかりと見据えていた。




最後に、高岡の農作物を購入出来る場所を紹介する。
「アグリピア高岡」にある農産物直売所では、高岡の農家が育てた穫れたての野菜や切り花、農産加工品などを販売。

併設している「Jun Blend Kitchen」では、地元野菜を使った料理も楽しめる。



国吉地区特産の「国吉りんご」をそのまま使ったりんごチップは、軽くて保存も利くので、お土産にもぴったりだ。



さて、私は高岡で一体どんなお土産を買ったのか?



すでに紹介をした、《高岡ラムネ》をはじめ、菅笠の釜敷きや、高岡漆器の螺鈿(らでん)のお盆など......。
これらは後篇の記事で触れていこう。


関連記事:【PR:富山・高岡を知ってみよう】私が高岡で出会った人たち、自然、伝統、暮らし ー後篇ー


※本記事は富山県高岡市の依頼によるPRレポート記事です

▼本記事における以下の紹介は、私単独によるアポイントメント及び独自取材です▼
大野屋、あそびとビル、ドラえもんトラム、ドラえもんの散歩道、ランカキャーマ・クルバドゥ、雨晴海岸、道の駅「雨晴」、射水神社、いみづ茶寮
(その他の紹介情報は、高岡市によるスケジュールに組み込まれた内容となるので、私宛へのお問い合わせは対応しかねる場合があることを予めご承知おきください)

参考:高岡市移住促進サイト「あっ、たかおかで暮らそう!」




izumin



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